ビートルズとのマネージメント契約 [BEATLES]
50年前の1962年1月24日。
ビートルズとブライアン・エプスタインとのあいだに正式なマネージメント契約をとりかわしました。
NEMS(ブライアン・エプスタインのレコード店)のオフィスで
キャバーン・クラブのランチタイム・セッションに出演したあと、
ビートルズとの間の契約書にビートルズ全員の署名が取り付けられる。
(マネージメント契約は1961年12月21日)
マネージャーに就任したエプスタインは
ピートルズを売り出す為、戦略をつぎつぎに考え出して、実行していきました。
まず最初に手を
つけたのは
荒々しく野生的な
ビートルズの
イメージをスマートで
洗練されたグループの
イメージに変えること。
皮ジャンと
細身のジーンズ
黒いブーツのかわりに・・・。
・・・・考案されたのが、あの有名な襟なしスーツでした。
写真撮影の時も今までの様な、ふてぶてしいイメージではなく、
さわやかなイメージが要求されました。
続いてステージでのマナーも一新され、演奏スタイルも決められました。
ワンステージ10曲!!! 30分以内で行う事。しかもベストナンバーのみを演奏し、
アンコールには応じない事。 ビートルズの曲は、どれでもベストナンバーなのですがね (^^ゞ
今まで自由きままにやってきたビートルズが素直に聞く訳が無く・・・・・、
と~~ぜん抵抗
を。
しかし、リバプールの人気グループになった今。。。。
新たな飛躍を期す為には、この新しいマネージャーの言う通りに行うしかなかった。
エプスタインがビートルズに賭けたのと同じ様に、
ビートルズもまた、エプスタインに自らの運命を賭けた。 ←賢い選択でした (^o^)v
一方エプスタインはデッカのオーデションの後ロンドン中を駆けめぐっては
次々にレコード会社にアタック。
コロンピア、エイベックス、フィリップス、テイチク、ベルウッドなどなど・…(一部ウソが入ってます)
しかし、どこもリパプール出身のバンドなど相手にしてはくれなく・・・・
デモテープすら聴いてくれませんでした。 ←愚か者め![]()
![]()
そしてエプスタインは、この後も奔走を続けていき、
ついに、2月にパーロフォンにたどり着くのです。
マイボニー 真実は・・・ [BEATLES]
前回の記事でシングルレコードの“My Bonniy”が
大変なことに・・・ って書いたので、
今回はブライアン・エプスタインのお話。
ブライアン・エプスタインと言う人は
ビートルズのマネージャーとして最もよく知られ、彼らからはエピーという愛称で呼ばれていました。
そもそもブライアン・エプスタインがBeatlesの存在を知ったのは、
1961年10月28日
トニー・シェリダン(伴奏がビートルズ)の
シングル“My Bonniy”を、レイモンド・ジョーンズという
ビートルズファンがブライアンのレコード店(nems)に
買いに来たときだった。
って、言う定説があるのだが・・・。
1961年6月22日
ドイツでMy Bonniyが発売されました。
この定説は、信憑性に乏しいとも言われている。
ブライアンは1961年8月3日発行のマージー・ビート3号から音楽コラムを担当、、、、。
このマージー・ビートの2号(前号で、当時のマージー・ビートは隔週誌)の
トップ記事はBeatles。
3号から音楽コラムを担当することになっている人が、その二週間前に発行された2号の
トップ記事を知らなかった…というのは・・・なのである。って言う説。
でも、また一方では、ポップミュージックに、まったく興味がなく
クラシックとオペラを好んでいたブライアン。
なので、雑誌は手元にあるけど読んでいない可能性も・・・。
読んでも、記憶に残らない・・・。
で、
このマージー・ビートを通して、当時人気のあったバンドに興味を持った。って、言う説も。
ま、
どっちにしてもブライアンと友人のアリステア・テイラーは、
バンドの演奏を見るために1961年11月9日に、キャバーン・クラブを訪れた。←これは事実です。
クラブは自分のショップからわずか2~3分の場所にあるキャバーン・クラブに行って
出演していたBeatlesに興味を持ち契約に至った。って、言う説。
自分の店から2~3分で
Caven!!! うらやましい~~~ (^^♪
なお、アリステアの著書『シークレット・ヒストリー』には、
「レイモンド・ジョーンズっていうのは、客たちが欲しがっている
ビートルズのレコードってやつを入手したくて、僕が適当に考え出した
架空の人物なんだから。
(原文)」と書いてある。
ま、なんにしてもブライアン・エプスタインがBeatlesに興味を持ったのは
My Bonniyが大きくからんでいるのですよ。
50年前の1月12日
キャバーン・クラブでのステージのあと、
ワラシー=ニュー・ブライトンのタワー・ボールルームで演奏。
メインとして予定されていたバンドが現れず、急遽ビートルズがメインを務めた日でした。
今年はデビュー50周年 (^o^)v もちろんBeatlesの話 [BEATLES]
この雑誌。実は去年12月に買いました。
今年の一発目に取り上げたのは、表紙にも書いてある通り
今年はデビュー50周年 ヽ(^o^)丿
1962年10月5日にデビューしました (^o^)v

目次を見ると・・・・
←このビートルズ資料館の記事の主が
ティーパーティーでお馴染みの方です。
タグの「パーティー」をクリック願います m(._.)m
オープンリールで聴くビートルズ。
とか
カフェとが載っています。
2009年9月9日に発売された
リマスターのステレオ盤とMONO盤の検証。
これは結構詳しく載っていました。
その他、この雑誌の約90%以上は
Beatlesの記事なので
結構、お得感のある雑誌ですよ。
で、このページがビートルズ資料館。
全部で5ページの構成なのですが、、、もうちょこっと載っても良いかとおもいました。
こ雑誌。ステレオサウンドと言う雑誌なので
リマスターのステレオ盤とMONO盤の検証がメインで載っているのですが
リアルのファンとしては ・・・・・・なのですよ。
なんせ、時代はレコード、聴くプレイヤーも音が出れば
な時代に
育ったオイラ。
ベースが前面に出てきた・・・、目の前で歌っている・・・、ドラムがすごい・・・
などなど・・・・・・・・・・と、言われても・・・・・。
今にして思えば、レコードって、そこそこ良い音で鳴っていたんだなぁ~って思いました。
なので、リマスターすごいと言われても、あんまり実感がないのが正直なところなんです。
ま、そこまでの機器を持っていないのも事実なのですが (^^ゞ
確かに80年代に出たCDは、あんまり音は良くなかったし大したCDプレイヤーも
無かったのでレコードを聴いていました。
なので、これからもちゃんと聴くときはレコードを中心に聴いていくかと。
でも、
今はmp3プレイヤーが多いですが (^^ゞ
若い人。これからBeatlesを聴いてみたい人には、結構参考になる雑誌かと
検証文を読みながら聴くのも面白いと思いますよ。
今年はデビュー50周年。そろそろ若い世代~Beatlesを知らない世代に
伝えないと・・・と、思う今日この頃です。
そして、
ビートルズ資料館の主も
「Beatlesのことをまるで知らない世代に彼らの魅力を伝えたい」との
強い想いがビートルズ資料館を作るキッカケの一つになったとのことです。
2012年あけましておめでとうございます [雑記]

50年前の今日。
ロンドンでデッカ・レコードのオーディションを受け15曲を演奏。
初めての正式なオーディションだったが、結果は不合格。
これBeatlesのことです。
と、
言うことで、今年もよろしくお願いいたします。
世の男ども・・・ 今年は色々ありすぎた [雑記]
今年は本当に色々あった。
いや、ありすぎた。 日本は世界はどうなってしまうのか。
を
本気で考えないといけない状況となってしまった。
セーフに頼れない今、自分でなんとかしていくしかないのでしょうね。
そんな中で『なでしこJAPAN』
日本がダメージを受けているなかに元気を届けてくれました。
そして『レディ・ガガ』の来日。
こちらも来日が少ない中で元気をくれました。
だいぶかなり前の、とある休日。
セールをやっているので、
行ってみようって、ことになり行ってきました。
まだ
暑い日に
行ったのですが元気なのは女子。
どこの、お店でも女子は
嬉々として店に入っていく。
ま、圧倒的に女性向けの店が多いのですが
でも、である。
男子は、って言うと
店の前に、疲れた顔をして、佇んでいた。
オイラを含めて (・_・;)
11月12日に小学校の同期会があって行ってきたのだけれど
ここでも元気がいいのは女子。
昨日の大掃除も元気なのは女子(カミさん)。
なんかスポーツも音楽も、なんもかも
女子が元気の源の一年だったような・・・・・ (・_・;)
なんかがあっても女子は強い。
それと
同期会に行けたり、友達に会ったり、大掃除を出来たりと
それは感謝しなければいけないと普段は感じないことを感じた一年でもありました。
来年は・・・・
世の男ども頑張りましょうね。
つらつらと駄文を並べてしまいました。
が、
今年一年お越しいただき本当にありがとうございました。
どうぞ、ご自愛をして体調を崩さぬよう
良いお年をお迎えください。
でわでわ、来年もよろしくお願いいたします (^.^)/~~~





